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「静御前」から紐解く久喜市栗橋の歴史

久喜市栗橋地区にゆかりのある「静御前」から久喜市の歴史を紐解く

久喜市内の栗橋駅のすぐ近くに、「静御前の墓所」が建造されています。中には静御前の伝承を記したものや、石碑が残されており久喜市の歴史を今に伝えるものとなっています。

 栗橋地域には様々な伝承や、「静御前」がゆかりのお祭りや桜が今もなお残っています。「静御前」という人物から久喜市の歴史を紐解いていきたいと思います。

静御前とは?

久喜市栗橋地区にゆかりのある「静御前」から久喜市の歴史を紐解く
 源義経といえば、鎌倉幕府をおこした源頼朝の弟であったことや、壇ノ浦の戦いなどで有名ですが、その恋人だったのが静御前です。

静御前は、舞を職業とする白拍子(しらびょうし)として当代随一と評されていました。室町時代初頭に書かれた「義経記」(ぎけいき)には、後白河法皇の時代に100年の1度といわれる賀茂川が干上がる災害に襲われ、後白河法皇が雨乞いの儀式で100人の白拍子を順番に舞わせたところ、最後に静御前が舞うとたちまち黒雲が現れ、3日間雨が降り続いたことから、法皇より日本一と称されたと記されています。

静御前には日本各地にさまざまな伝承があり、久喜市栗橋の伊坂地区に伝わるものもその一つです。この静御前にまつわる伊坂地区の伝承では、兄の源頼朝に攻められ、奥州に逃れた義経の跡を追う途中、義経の討死を知り、悲しみのあまり病となり、文治5年(1189)9月15日に伊坂で亡くなったとされています。

静御前の伝承

 栗橋地区に伝わっている静御前の伝承は、久喜市から古河市の地域に伝わっているもので、最も広く知られた伝承となります。

久喜市と古河市は、今では利根川で二つに分かれていますが、十七世紀初めに江戸幕府が河の改修工事を行う前までは地続きの土地でした。

中田(古河市)の光了寺にある「静女蛙蟆竜舞衣略縁記」(しずめあまりょうめぶいりゃくえんぎ)の中では、義経を追って鎌倉を去った静御前は、侍女を連れて東北へ向かいました。その道中、下総国下辺見(古河市)まで来たときに、往来の人から義経が平泉で亡くなったことを聞きました。
悲嘆にくれて悩んだ末、出家して義経を弔う事を決意して橋を渡り前林(古河市)に向かいました。
この橋は「思案橋」と呼ばれています。前林に着いた静御前は、道筋の目印に柳の枝を結んで京都を目指しました。この地を「静帰」(しずえ)と呼びます。

 そこから伊坂(久喜市)までたどり着きますが、旅の疲れから息を引き取ってしまいます。
一説では、侍女は光了寺で静御前を弔い、墓の印に一本の杉の木を植えました。遺品は光了寺に納められ現在に至ります。

静御前の墓所

 久喜市の栗橋駅東口を出て北に少し歩いたところに、静御前の墓所があります。江戸時代の享和三年(1803年)に中川忠英(なかがわ ただてる)が、「静女之墳」(せいじょめふん)を建設し、後に前述した光了寺に「静女蛙蟆竜舞衣略縁記」の袱紗を寄付しました。光了寺はもともと栗橋駅前にありましたが、元栗橋(茨城県五霞町)へ移転し、さらに現在の中田(古河市)に落ち着きました。

 それから幕府の重要人物や歌人が久喜市の静御前の伝承を取り上げ、時代が変わって明治十九年(1886年)に東北本線に栗橋駅が新設されました。当時の駅舎は現在よりもやや北にあたります。翌年の明治二十年(1887年)に「静女家碑」(せいじょちょうひ)が建設され、石碑には墓域の整備が行われたことが記されています。

明治二十二年(1889年)には、市制・町村制の施行に伴う大規模な町村合併、「明治の大合併」がおこなわれ、この折に伊坂村は周辺の村と合併し、「静村」(しずかむら)と名付けられました。このことからも当時から栗橋地域では、静御前の伝承が地域に根差していたことがわかります。

 その後、「昭和の大合併」を経て栗橋町が発足し、久喜市に統合されるかたちになりました。

座泉の歌碑

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江戸時代の歌人、坐泉がこの墓にきて静御前の亡きあとを思い

「舞ふ蝶の 果てや 夢見る 塚のかげ」

と元禄のころ歌ったもので、それを村人が文化3年3月(1806年)に石碑として建てたものです。

「静女家碑」(せいじょちょうひ)

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静桜(しずかさくら)

静御前が義経を追って奥州に向かう途中、義経の討死にを知り、涙にくれた静は、一本の桜を野沢の地に植え、義経の菩堤を弔ったのが静桜の名の起こりといわれています。

静桜は、里桜の一種といわれていますが、ソメイヨシノのような一般の桜に比べ、花期の訪れが遅く、4月中頃から開花します。花は、5枚の花弁の中に、旗弁(はたべん)といって、おしべが花びらのように変化したものが混じる特殊な咲き方をします。このことから、開花した様子は、一見、八重と一重が混じったように見え、他の桜とは趣を異にした風情を見せています。

 現在国内には、原木を接ぎ木したものが、僅かに栗橋地区の静御前の墓所と平泉の数箇所にあるのみで、たいへん珍しい品種となっています

静桜のマップ

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静御前まつり

静御前まつりは、静御前が亡くなった9月15日が旧暦の為、毎年10月の中旬ごろにっ開催されます。今年で26回目を迎え、お祭りの目玉のひとつ『時代絵巻パレード』は義経・静御前・白拍子といった歴史を偲ぶ当時の衣装で駅前を練り歩き、さながら時代絵巻のなかから出てきたかのようです。栗橋地区内に限らず、地区外からもたくさんの方にご来場いただき大変賑わいます。地元の保育園児の太鼓や幼稚園児の鼓笛演奏、小学生による合唱など、様々なイベントがあり、訪れた人の目や耳を楽しませています。

時代絵巻パレードの様子

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まとめ

 一人の歴史上の人物から紐解いていくと、地域のいたるところに影響を与え、今もなおその名残が残っています。しかし、偶然に残っていきたわけではなく、その時代ごとに地域の伝承を大切に思い次世代に伝えてきた人達がいたからこそ、今も私たちが目にできることに感動しました。